TOCCO物語
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プロローグ
私はサロンのチラシを置いてもらおうと、近くの飲食店を訪ねてまわっていた。
立ち寄った自然派カフェはオープンしたばかり。木のぬくもりが漂うその店先で、私は良い香りに包みこまれた。
「ホーリーバジル…?」
初めて聞くその名前。小さなラベルにそう書かれていた。
脳内にふりそそぐ香り。甘くて、どこかスパイシー。それでいて優しく、どこか懐かしい。胸の奥がゆっくりとほどけていくような香りだった。
苦手だったはずのハーブティー、口にしたその瞬間、
喉を通り抜けたその温かさに、私は驚いた。
気管支が開いたように深く呼吸ができて、指先と足先がじんわりと温まる。
「え、なにこれ…」
思わず声が漏れた。
そのときの私は、ちょうど古民家へサロンを移転し、再スタートを切ったばかり。
体調も不安定、不安も、希望も入り混じった日々。
そんな日、ホーリーバジルに出会い、
その香りに心奪われ 救われた。
「また、この香りに出会いたい」
「自分で、育ててみたい」
そんな願いが、芽生えはじめていた。
TOCCOが、香りを通じて人や地域と調和し、循環の和をつなぐ。
その、始まりだった。
第1章
2003年、交通事故に遭った。
買い物に行った帰り、走行中に暴走車が飛んできた。
私が運転する車は衝撃とともに突き上げられながら暴走車とガードレールに挟まり停車した。
幸い、外傷はなかった。けれど、その日から、私の身体は少しずつ壊れていった。
最初は軽い頭痛。
数日後には、首と背中に鈍い痛みが現れた。
処方された薬で乗り切っていたが、
やがて、立ち上がるとめまいがし、全身が重たく、体の中に何かが詰まっているようで立ち上がれなくなってしまった。
何度も病院へ行った。CTスキャン、MRIもレントゲンも血液検査もした。
でも、どこにも「異常」は見つからなかった。
「とくに問題はありませんね」
「少しお疲れでは?」
「ストレスがたまっているのかもしれませんね」
症状を訴えた時は親身に聞いてくれても、検査結果を見る段には冷たくあしらわれた。
その言葉を聞くたびに、私は悔しくて泣いた。泣くと痛みが増す、それでも涙があふれて止まらなかった。
目を開けたまま、鼻水も涙も一緒になるくらいに泣きつづけた。。。
日に日に悪化する症状、自分でも受け入れられない現実。
加えて鎮痛薬以外助けてもらえる手段もない。
だんだん効かなくなってきた。
衝撃を受けた右半身には痺れが残っている。
全身の痛みが確かにあるのに、誰にも見えない。
毎日、全身に重りをつけられているような状態。
痛みが強い日は、家事もできず、買い物にも行けず、横になっているしかない。
一才の子供が泣いていても抱くこともできない。
悔しくて悲しくて、とにかく辛くて涙がででくる。
泣くとさらに痛みは強くなる――そんな悪循環の中に、私はいた。
一番つらかったのは、「言葉にできない痛み」を誰にもわかってもらえないことだった。
最初は優しい言葉をかけてくれる人もいた。でも、心療内科を勧められ余計に傷ついた。
言わないでおこう。
泣かないようにしよう。
できることもできなくなる。
だから私は、何も言えなくなっていった。
「なんでこんなに苦しいのに、私は“健康”って言われるんだろう」
誰にも助けてもらえない。
「生きていけるのだろうか。」
「子育てできるのだろうか」
この先よくなるのか悪くなるのかもわからない恐怖。。。
ハンマーで殴られたようなこの頭痛からどうやったら逃れるのか。
『原因不明による死亡』
そう長くは生きられないのかも。。。
心も体も動かさないように生きるって
どんなだろう。。
静かに、心も身体も閉じていった。
第2章
夜が怖くなった。目を閉じると痛みが増してくるようだった。
布団に入っても、眠れない。
体はぐったりしているのに、首と背中が痛くて、じっとしていられない。
頭の奥が重く、脈を打つたびにズキズキと響いてくる。
それでも、「眠らなきゃ、明日も頑張らなきゃ」と思う。思えば思うほど、体が緊張して眠れない。
とくに仰向けで寝ることができなくなった。背中には鉄板が入っているかのように重く固い。
横向きになっても、うつ伏せになっても、どこかしらが痛い。
自分の体が、自分のものじゃないように感じられる。
眠るという“当たり前”が奪われることが、これほどまでに辛いとは思っていなかった。
そんな中で、唯一と言っていいほど安心できたのが、湯船の中だった。
お風呂に入り、ゆっくりと体を湯に沈める。
肩まで、首まで、時には頭まで浸かる。
すると、体の痛みがふわっと和らぎ溶けていくような感覚がした。
まるで、重力から解放されたように、体が軽くなる。
手足の先まで温まり、深い呼吸ができるようになる。
目を閉じれば、ほんのわずかな「何も感じない時間」が訪れる。
私はそのうち、お風呂の中で目を閉じて、しばらく動かずにいるのが日課になった。
「このままずっと、お湯の中で過ごせたらいいのに」
そんな風に思った。
でも現実には、湯から出ればまた痛みが戻ってくる。
それでも、体が教えてくれていた。
「温めると、楽になるよ」
「深呼吸すると、落ち着くよ」
私は、そんな風に少しずつ自分の体の声”に耳を傾けるようになっていった。
「医療では異常がない」と言われても、確かにそこにある“声なき不調”。
それは、湯の中でやっと聞こえてくる、小さくて確かな体からのメッセージだった。
第3章
体調不良とともに生きる日々の中で、
私はあるタイミングになると、決まって不調が強くなることに気づくようになった。
それは、月経の前だった。
体がむくみ、頭が重く、イライラしたり、何をしても疲れが取れなかったり。
胸や背中が張るような痛みが続き、肌も荒れ、気持ちも沈む。
そんな日が来ると、「あ、そろそろ来るな」と体が先に教えてくれるようになった。
以前は、生理痛といえば下腹部が少し重たい程度だった。
でも事故のあと、症状は全身に広がるようになった。
頭痛、肩こり、腰痛、吐き気。
まるで体のあちこちが「準備のためにがんばりすぎている」かのようだった。
月経を迎えるたび、私の体はひとつの山を越えるようにしんどくなり、
そのあと、ふっと軽くなる瞬間が来るのだった。
月経が始まると、尿の量が増える。
むくみがスッと引いて、顔つきが変わる。
気持ちも、体も、まるで大掃除が終わったあとのようにリセットされる。
私は気づいた。
「月経前に体が苦しくなるのは、エネルギーを準備している状態だからかもしれない」
そして、月経前の不調が“バロメーター”と捉えられるようになった。
月のリズムを振り返る。
「無理していたな」「あのとき、休むべきだった」
そんなサインが、体を通してやってくる。
体調不良が続いたことはつらかったけれど、
それがなければ、私は自分の体とこんなにも深く向き合うことはなかったと思う。
医療では測れないサイン。
でも私にとっては、「ちゃんと自分と向き合えていたかどうか」を知らせてくれる、
かけがえのない答え合わせだった。
第4章
私は北陸・福井県生まれ
寒さには慣れていて強い――そう思っていた。
でも、事故後の体はそうではなかった。
冬になると、体がキンと固まり、背中や首が硬くこわばっていく。
「冷え」が、ただの不快感ではなく、“痛み”に変わっていく。
「冷えがつらい」と言っても、それは外気だけの問題ではなかった。
あたたかい服を着ても、カイロを貼っても、体の内側が硬く冷えているのだった。
湯船で温まると楽になる。
でも、それだけでは足りなかった。
あるとき、何気なく飲んだ生姜湯に、体がぽっと反応した。
指先が温まり、首が軽くなった。
「体の中から温めることが必要なんだ」
そこから、食べるものに意識を向けるようになった。
体を温めるもの、冷やすもの、大好きなチーズや白砂糖を避け、冷たい飲み物を控え、季節の野菜や自然に近いものを選ぶようになった。
生姜、シナモン、山椒、にんにく、黒ごま――
体の中に熱を生み、めぐりを促す食べ物を少しずつ取り入れていく。
「食べるって、体をつくることなんだ」
そんな当たり前のことが、ようやく自分の実感として腑に落ちてきた。
一方で、消化に重いものを食べると、途端に体が重くなることも知った。
食べるものひとつで、一日の調子が決まる。
体の中に「負担をかけない」ことが、どれだけ大切かを知った。
食べ方で、人生の質は変わる。
温度で、心の揺れも変わる。
私はようやく、「食べること」と「めぐらせること」が、
心と体の回復において欠かせない軸なのだと気づいた。
そしてそれは、ホーリーバジルの持つ、『温め、めぐらせ、鎮める”力』と深く重なっていくことになる。
第5章
「このまま薬に頼り続けていては、治るものも治らない気がする」
そう思い始めた頃、私は東洋医学を知りたいと思うようになった。
評判のいい鍼灸院。。。
だが半信半疑だった。さらに悪化したらどうしよう。
けれど、どうにかして楽になりたかった。
週に3回、通った。
痛みの出ている部位だけではなく、体全体のバランスを診て自己治癒力を高める治療にじわじわ引き込まれていった。
鍼を打たれたときの、ズーンと響く感覚。
それが抜けたときの、ふっと解けるような軽さ。
私の中で停止しているものを鍼の刺激によって動かしてくれる。
「整える」というのはこういうことなのか――そう感じた。
5年ほど通ったある日、私はふと鏡を見て違和感を覚えた。
「顔が、歪んでる…?」
それまで、自分の表情を気にする余裕すらなかった。
けれど、疲れやこわばり、むくみとたるみが蓄積した顔は
疲れて老いた他人の顔のようだった。
鍼灸師に「顔にも鍼をお願いできませんか?」と伝えた。
当時、顔への鍼は非常に珍しかったが
「やってみましょう」と応じてくださった。
今でも忘れられない。
顔の筋肉がゆるみ、視界が広がるような感覚。
首や肩のこわばりまで一緒に楽になり、解けていった。
顔の緊張と、心身の緊張はつながっていたのだ。
そこから私は、自宅でもできるケアを求めて、家庭用美顔器を使いはじめた。
高価だったけれど、4〜5台を使い潰すほど、私は夢中で自分の体を取り戻すための時間を費やし没頭した。
顔に当てると、頭や肩が楽になる。
ポイントを見つけて当てていくと、不調がやわらいでいく。
「自分の体を、自分で整える手段をみつけた!」
それは、私にとって人生を取り戻す大きな一歩だった。
いつしか、不調と日常をコントロールできるようになってきた私は、
「また働けるかもしれない」
そのために何が必要か。
毎朝、白湯を飲みながら、
事故に遭わなかった私を取り戻すために、
自分との作戦会議を、何度もくりかえした。
第6章
ある日、友人から「エステサロンのチラシを作ってほしい」と頼まれた。
私は過去にPOPや広告を作った経験があったため、引き受け、取材も兼ねて施術モデルをすることになった。
そこで初めて体験したのが、業務用美容機器「ラジオ波」だった。
体にあてられる温かなヘッドから、じんわりと熱が入ってくる。
皮膚の表面ではなく、もっと深部――内臓の周辺や筋肉の奥の冷えに直接届くような不思議な温もり。
私は驚いた。
「これ…お風呂の中より、ずっと楽になる…!」
美顔器では届かなかった深さ。
鍼でも時間がかかっていたこわばりが、みるみる溶けていく。
長い間閉じ込められていた疲労や冷えが、解放されていくような感覚だった。
「この機器があれば、私は普通に働ける体に戻れるかもしれない」
「これを手に入れれば、私みたいに苦しんでいる誰かの助けになれるかもしれない」
美容のための道具だけではない『“生きていく力を取り戻すための道具”』に私には見えたのだ。
その様子を見ていた友人は、こう言った。
「智子さん、この仕事むいているんじゃない? 一緒にサロンやってみない?」
私の心は高揚した。
これまで、“できない”を受け入れてばかりいなければいけなかった私が、
“できるかもしれない”に踏み出すチャンスだった。
話はトントン拍子に進み、
気づけば私は、開業に向けて一歩を踏み出していた。
第7章
2020年2月。
私のサロン「Beauty Salon TOCCO」がオープンした。
ラジオ波を中心とした美容機器を導入し、脱毛や痩身などの施術メニューも整えた。
「この機器があれば、私のように不調と共に生きている人を助けられる」――そんな想いが、私の背中を押してくれた。
けれど、開業からまもなく――世界はコロナ禍に突入した。
営業自粛、来店キャンセル、感染対策…。
思い描いていたサロン経営は、すぐに現実の壁にぶつかることになった。
そんな中、たまたま出会った築60年以上の古民家への移転を決断する。
そこは、家族の生活拠点としても利用する予定だった場所。
ガラスが割れ、壁もはがれかけていたが、「ここなら、人との距離を保ちつつ自分のペースで営業できる」と思った。
ちょうど息子は大学受験を控えていた。
敏感な体質で、古民家のホコリや湿気が心配だったが、できる限り清掃と改修を行い、息子が安心して過ごせる住まいとサロンを両立させた。
周囲の方々に理解を得るため、一軒一軒ご挨拶をしながら、
サロンのこと、体へのケアのこと、自分がやりたいことを伝えていった。
お客様にも、「どうしたら無理なく新しい場所に来ていただけるか」を考え、
心を込めて案内した。
もちろん、すべてが順調ではなかった。
不安と疲れがどっと重なり寝込んでしまった日もあった。
でも、地域の方々のあたたかさが、私を何度も支えてくれた。
「これ、まだ使えるから持っていき」
「こんな風にしたらどう?」
「困ったことあったら言うんやで」
たくさんの声が、手が、私のサロンを形づくっていった。
私は「売れる店」ではなく、「続けていける場所」「誰かの居場所になれる場所」を目指そうと心に決めた。
こうして、TOCCOがオープンした。
第8章
2020年7月。
なんとか古民家サロンへと移転させ、営業を再開させた。
コロナ禍の中でも“できる範囲で続ける”という気持ちを整えた。不安を振り払うため、私は再び外へ足を運び営業活動をして回った。
新しいサロンを知ってもらうために、チラシを置かせてもらえそうなカフェや飲食店を訪ねて歩いた。
そんなある日、ふと立ち寄った自然派カフェの入り口に、その葉は置かれていた。
青々とした葉に、「ホーリーバジル」と書かれた札が添えられていた。
初めて聞く名前。
香りをかぐと、甘くて、スパイシーで、それでいてどこか優しい。
思わず深呼吸したくなる、不思議な香りだった。
店主にすすめられ、ハーブティーを一口。
「これまで飲んできたどのハーブティーより、体にすっと入る…」
そう感じた瞬間、体の奥からじんわりと温まるような感覚が広がっていった。
喉が開き、呼吸が楽になる。
肩の力が抜け、指先がぽかぽかしてくる。
不思議な感覚。。。
私の体は、『この香りを“必要としていた”』
「またこの香りに出会いたい」
「もっと知りたい。できれば、育ててみたい…」
それは、ごくささやかな願いにすぎなかった。けれど、この小さな出会いが、自分の生き方を大きく動かすことになるとは想像もしていなかった。
第9章
あの香りに、もう一度出会いたい。
その想いが静かに私の中に根を張り始めた頃、
偶然SNSで、ホーリーバジルを栽培しているという農家の投稿が目に入った。
「ホーリーバジルを育てています。作業ボランティア募集中」
心が大きく動いた。
「行きたい」
「畑で、生きたホーリーバジルをこの目で見て、香りに包まれたい」
画面越しでは伝わらない、本物の力にふれたくなった――
当時、大学生になったばかりの息子は、
環境自然を勉強しており農業に興味を持っていた。
そこで私は声をかけた。
「ボランティアいってみない?」
驚いたことに、息子はすぐに「いく」と答えた。
小さな頃から、アトピーや体調の不安を抱えていた彼が、
自ら外に出ようとしていることが嬉しかった。
真夏の炎天下。
畑には、たくましく育ったホーリーバジルが風にそよいでいた。
私たちは、草取りや収穫、ハーブティーづくりなどの作業を手伝わせてもらった。
汗をかき、土にまみれながら、ひとつひとつの葉の香りに癒される時間だった。
息子は黙々と作業を続けていた。
暑さやアレルギーが体に負担になっていないか。私は心配だった。
けれど、農作業の合間、納屋で休憩している息子の姿を見て驚いた。
地域のおじいさんやおばあさんと、
にこやかに雑談を交わしていた。
「来てくれて本当に助かったよ」
「若い子が来てくれるだけで嬉しい」
そんな言葉を、何度も、何人もの方からかけられ、笑顔で応じていた。
「ありがとう」「ありがとう」
その言葉の数々に、私の心も溶けていった。
息子の成長を感じた。
地域の温かさに触れた。
そして、ホーリーバジルが人と人をつなげていく。
私はこれから広がる世界にワクワクしていた。
第10章
ボランティアの帰り道、農家の方から茎ごとのホーリーバジルを束でいただいた。
車の中に充満する甘い香り。。。
甘く、スパイシーで、体の奥まで届くような芳香に、私は胸がいっぱいになった。
サロンの玄関に、吊るして飾った。
来られたお客様が「あ、この香りは…?」と尋ねてくださるたび、
「これはホーリーバジルっていうハーブなんです」
「不老長寿の妙薬といわれているんです」
たくさんの方にもっと知って欲しいと思った
いただいた種は
まだ「育てよう」とまで思ってなかったけれど、大事にしまっておいた。
翌年。
私はふと思い立って、そのドライフラワーを使ってアロマオイルが取れるか試してみたいと考えた。
手元にあった電気圧力鍋を改造して、自作の蒸留機を作り、試してみた。
けれど、それほど良い香りは出なかった。あの甘くてやさしい香りには、ほど遠かった。
どうしてもホーリーバジルの“あの香り”を再現したかった私は、
蒸留ができる施設を探し、ホーリーバジルを持ち込んで試作を依頼することにした。
期待と不安が入り混じる中、蒸留器から立ち上る湯気に目を凝らす。
ふわっと香るその瞬間、私は思わず息をのんだ。
けれど、できあがったオイルの香りは、“あのときの香り”とは違っていた。
青く、尖っていて、あの甘さと温もりがない。
それでも――確かに、「ホーリーバジルの気配」はそこにあった。
「フレッシュな葉を、もっとたくさん使えば、あの香りになるのかもしれない」
「もう一度、あの時の味と香りに出会いたい」
そう思った私は、自分の手でホーリーバジルを育てるしかないと決意した。
第11章
“あの香り”をもう一度手に入れるために、私は考えた。
ホーリーバジルをもっとたくさん、そして良い状態で蒸留するには――
やっぱり、自分で育てるしかない。
でも、一人では限界がある。
畑も、時間も、手も足りない。
そんなとき、地域のイベントでよく顔を合わせていたB型就労支援施設の関係者の方のことを思い出した。
TOCCOのお客様でもあり、親しみやすく、気軽に相談できる存在だった。
思い切って話を持ちかけてみた。
「ホーリーバジルを一緒に育てませんか?」
「以前、子どもがアトピー性皮膚炎で悩んでいたとき、福祉施設の製品にとても助けられました。そんなふうに“誰かの役に立つ製品づくり”になる仕組みがあったらといいと思うんです。」
すると返ってきたのは、想像以上に前向きな返事だった。
「ちょうど、新しい事業を考えていたところなんです」
「うちの施設には畑もありますし、試しにやってみましょうか?」
話はトントン拍子に進んでいった。
⸻
初めての栽培には、たくさんの課題があった。
それでも利用者さんたちが丁寧に種をまき、苗を育て、草を取り、水をやり、
ホーリーバジルはぐんぐんと力強く伸びていった。
そして迎えた、収穫の日。
太陽の下、緑の香りに包まれながら、関わった皆さんと一緒に葉を摘むその時間は、
まるで光の輪の中にいるような温かさに満ちていた。
それは、単なる「原料づくり」ではない。
誰かの仕事になり、居場所になり、体験になっていく。
“香り”が、仕事と支援と地域とをやさしく包み込んでいく。
かつて、私は市の社会福祉協議会で地域福祉コーディネーターとして働いていた。
同じような施設の工賃計算を手伝ったとき、工賃の低さに驚き、もどかしさを感じた。
本当は、その人に合った仕事があれば、もっと活躍できるはずなのに――。
だから私は、知ってほしい。
仕事から得られる喜びは、かけがえのないものだということを。
元気に起きて、活躍する場所があること――それは、生きる力になる。
「ありがとう」「またお願いね」その一言が、明日へのエネルギーになる。
このホーリーバジルの仕事が、“香り”の力で、
誰かの「やりがい」や「お給料」につながっていくのなら。
「本当にできるのだろうか」――そんな不安が、何度も頭をよぎった。
でも、仕事は生きる力。
この取り組みを通して、誰かが仕事の喜びや、生活の中の小さな潤いを感じてくれたら。
それは本人だけでなく、支えるご家族の安心や喜びにもつながっていく。
それだけで、この挑戦にはきっと意味がある。
みんなを巻き込んでしまった。もうやるしかない。
これまで閉じこもっていた自分を越えていくとき。
そう信じて、私は一歩を踏み出した。
初志貫徹
今日もまた、“ひとり作戦会議”を続けている。
エピローグ
あの夏の日に出会った香り。
甘くて、スパイシーで、どこか懐かしい香り。
それは、ただの植物の香りではなかった。
「異常なし」と言われ続けてきた体が、“大丈夫”と感じた香りだった。
その体験が、今の私の原点になっている。
今、TOCCOはホーリーバジルを通して、“めぐり”を整える場所へと進化しつつある。
地域の支援施設と手を取り合い、
自然の恵みを活かし、
敏感な人、疲れている人、不安を抱える人に届けるための製品を育てている。
香りは目に見えない。
けれど、香りには人の心を動かす力がある。
癒す力、つなぐ力、思い出させる力――
それは、心に触れる体験だと思う。
ここまでの道のりは順風満帆ではなかった。
信じていた人に裏切られたり、
誤解されて中傷を受けたり、
努力を踏みにじられるような場面もたくさんあった。
それでも私は、くじけない。立ち止まらない。
苦しさの中で、「癒された」「あなたのような人がいてくれてよかった」と言ってくれる人がいる限り、進む必要があると信じている。
時折ふと思う。
かつて医学では助けてもらえなかったあの頃の私――
あの痛みに耐えていた私が、今もどこかにいるのではないかと。
助けてあげたい。
あの頃の私のように、
「誰にもわかってもらえない」と感じている誰かに、届けられたらと思う。
私の経験は特別なことではない。
誰もが心や体に不調を抱える時がある。
人は皆、老化という重力に向かって歩いている。
少しでも快適に、楽に、そして自分らしく生きられるように、
めぐりを整える手段を届け続けたい。
あの日のホーリーバジルの香りは、いつかきっと私だけの記憶ではなく
それぞれの人にとっての「ホッとする香り」「帰れる香り」になる。
TOCCOは、その入り口でありたいと願っている。
まだ見ぬ香りを目指して。
必要としている、誰かのために。
私は今日も、種をまく。
